京都外国語大学・京都外国語短期大学

メキシコで広がった
私の”世界地図”

  • 外国語学部スペイン語学科
  • 立岩 礼子 教授
  • 2019.06.19

研究の楽しみを発見した小学校時代

研究の基礎が“調べること”であるとすれば、その作業に初めて熱中したのは韓国のソウル日本人学校でした。

当時、日韓関係は非常に悪く、日本人が自由に外出するような環境ではありませんでした。そういう事情で、放課後は勉強する時間がたっぷりあったのです。

教科書や参考書からただただ情報を写して図式化しているうちに、ポイントを見極めて情報を整理する作業が面白く思えてきました。

日本に帰国後の中学校でも情報をカードに整理するKJ法(文化人類学者川喜田二郎がデータをまとめるために考案した手法)を習い、私の中に定着しました。今でも論文の構想を練るときには、データをカードに整理・図式化します。

「出身はどこ?」が挨拶代わりのメキシコ

歴史というものが人の中に生きているんだと実感したのがメキシコです。

メキシコ人は「名前は?」の次に必ずといっていいほど「出身はどこ?」と訊ねます。大学のクラスメートの多くは「メキシコで生まれたけれど、祖父母はスペイン出身」と答えてきました。メキシコはスペインに征服されたので、支配側の末裔だというわけです。メキシコはフランスに支配された時期もあるので、「父方はフランス人」と答える人もいます。もちろん先住民系の学生もいます。

みんなメキシコ人ですが、国の歴史が家族の歴史であり、その人の歴史なのです。

教授陣も然り。サンフランシスコ講和条約に立ち会った元FBIスパイだった歴史の先生、カーストの位の高いインド人の経済学者、アメリカ一辺倒を嫌ってパリ大学で博士号を取得した若いメキシコ人社会学者、外交官でもあった米墨関係の専門家、アメリカ大統領選を指揮したアメリカ人政治家、コロンビア大学でも教鞭を執る国連のエキスパート、カリフォルニア大学の歴史学者、そして学科長はフィリピン人の女性研究者でした。

メキシコでは友人・知人が増えると、それだけ新しい国や地域について知る機会が増え、自分の中にステキな世界地図が描かれていくようでした。

大海原に繰り出していった「征服者」が、魅力的

私の研究対象はスペインの16世紀と17世紀、つまり大航海時代とそれに続く時代。スペイン人が大海原を越えて新大陸を征服し、支配し、日本にも接触した時代です。

当時、海を越えるだけでも命がけだったのに、メキシコやペルーに自分の故郷と同じ街並みを再現したその情熱に圧倒されます。大聖堂にしても修道院にしてもヨーロッパよりもはるかに大規模なものを建造し、そこを舞台に先住民文化とキリスト教文化が混ざり合っていく様がダイナミックで、非常に面白いのです。

研究の合間に、美しい器でコーヒーやお茶を淹れて気分転換を図り、好きな画家の画集をめくります。お茶もコーヒーも陶磁器も歴史を動かした嗜好品や贅沢品で、絵画には時代が反映されているので、研究に役立つインスピレーションを得ることもよくあり、それが楽しみでもあります。

コーヒーを片手にページをめくる、格別のひと時。

 

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