僕たちは世界を変える
ことができない?
- ピカ☆イチプロジェクト採択団体「UNITE」代表
- 国際教養学科 3年次生
- 薄井 唯 さん
- 長野県 長野清泉女学院出身
ラオスのルーツに向き合いたくて
私のルーツはラオス、広東潮州、長野と、いろんな民族が混ざり合っています。父はラオスのラオ族出身で、私は母の出身地、長野で生まれ育ちました。
大学に入って間もなく、母から「ラオスが変わりつつある」と聞き、言いようのない不安と焦燥感にかられました。幼い頃の記憶に残るラオスが変わりつつある。それが良いことなのか、悪いことなのか分かりません。条件反射のように「動かねば」と思い、ラオスに関する書籍を読み漁り、NPOやNGOを調べ尽くして情報を集めました。
首都はヴィエンチャン。面積は日本の本州ほど
そして1年次生の夏、京都外大の友人たちに声をかけて、賛同してくれる仲間と一緒にラオスの北から南まで30以上の学校を訪問しフィールドワークを実践。秋には「UNITE」というグループを作りました。団体名のUNITE は、日本とラオスを「つなげる」という意味が込められています。
フィールドワークで目にした美しい自然と、教育の現状。この素晴らしい自然環境を生かして何か出来ないか?そこから生まれたのが「MINDFULL PICTURES」です。教育環境が整っていない中で、自然に落ちている葉っぱや花、砂利を使って絵を作成し、自ら勉強を楽しむ「自立学習」への道を提案したいと考えました。京都外大のピカ☆イチプロジェクトに応募し資金を得て、いざラオスへ。
一緒にラオスに行こう!
南部の学校では絵の授業がなく、子どもたちは“絵を描く概念すらない”状況でした。私たちが「こんな風に絵は描くんだよ」と見せると、子どもたちは私たちの書いたものをそのまま真似して書くだけでした。想像して絵を描く、そんな当たり前のことが当たり前ではなかった。自分たちのリサーチ不足を痛感しました。
活動に熱心な私を応援してくれている父ですが、「自分のことをまず最初にみつめるべきではないか」と言われました。ラオスから日本へやってきて、苦労した父だからこそ投げかけてくれた言葉だと、私もわかっています。それでもラオスに何かしたい。その熱意を知ってほしくて、思い切って春休みのプロジェクトのとき「ラオスに一緒に行こう!」と、両親を誘いました。
2年次生春、第2回プロジェクトでは図書館をつくること考え、両親も連れて南部の町Thatengへ。職業図鑑、絵本、歴史など約100冊の本を現地で手に入れることができました。本棚は車で10時間以上も離れたところから譲り受けることになり、率先して遠い道のりを運転して運んでくれた父。さらに「次のプロジェクトは俺もやりたい!」と意気込みを話し、現地の友人たちにも声をかけ、水道設備を整え始めました。「安全な方法で子どもたちに水を届ける。難しい問題はたくさんあるが、約束したからやり遂げる」と。母もラオスに移住して何か活動を始めたいと言っています。
現地でいつも思うのは、自分の無力さ
社会に還元できることは何か?私は、「世界一貧しい大統領」と呼ばれる南米ウルグアイの前大統領、ホセ・ムヒカさんの言葉に影響を受けました。経済格差が大きくなってきたラオスで、正しく経済循環が行われるためにはどうしたらよいのか、根本的生活のあり方を考えるようになりました。
そして、消費主義社会の中に生きている自分は、どうしたら地球の循環と人間の共生ができるか見つめました。団体としてラオス渡航はこの夏で4回目。その中で矛盾を感じ、葛藤があります。消費社会の嫌悪感、開発への疑問、支援やボランティアという言葉に対する違和感を拭えません。正しさとは何か、それは常に人類が思考錯誤してきたことで、それに対する答えはないように思います。だからこそ思考と行動を起こして行くことが大切であると感じました。
私たちの活動が今後どういった影響を及ぼしていくのか、その結果が分かるのはずっと先になるでしょう。悩みながら手探りでこれからも活動を続けて行きます。先人の先輩方も迷われ、迷う中で見つけるものがあるかもしれません。
今後は、ラオスだけでなく他の国もみて、いろんな取り組みに挑戦していきます。外大祭で私たちの団体「UNITE」を紹介する予定です。東南アジアや世界の途上国、教育問題などについてみんなが興味を持ってもらえるように考えています。