京都外国語大学・京都外国語短期大学

人を支える「花」でありたい
途上国での雇用創出に向けて

  • ピカ☆イチProject採択団体「NEPALink」代表
  • 外国語学部スペイン語学科3年次生
  • 繁光 花捺(しげみつ はな) さん
  • 大阪府 河南高校出身
  • 2020.01.29

私にできることは? ネパールで第1歩

北東から吹くモンスーンの影響で空気が乾き、土ぼこりが漂う街・カトマンズ。私たち参加者は、底冷えのきついホテルの一室に集まっていました。

「何かできることはないんやろか」

今まで感じたことのない強い衝動。そして、止まらない涙。

2018年2月、キャリアセンター主催「海外フィールドワーク」。ネパールに2週間滞在した私は、貧しくとも明るく懸命に生きる人々の姿をみて、自分の無力さにいら立ちを隠せませんでした。

ヒマラヤ山脈の南麓に位置するこの国は、農業が主産業の、世界最貧国のひとつ。約10年間続いた内戦の影響や、2015年4月発生のネパール地震など、苦しい状況が今も続いています。

そんな環境で日々を過ごすネパールの人たちは、人懐っこい性格。初めて訪れた私たちに、料理をふるまってくれるなど、温かくもてなしてくれる姿に心を動かされました。

2018年4月、私は参加者4人と、ネパールの人たちへ教育支援を行うボランティア団体「NEPALink」を設立。京都外大の学生の自主活動を支援する「ピカ☆イチProject」に採用されました。

同年8月と2019年8月の2度、ネパールの日本語学校や孤児院で、授業のサポートや、日本文化を伝える「ジャパン・フェスティバル」を開催し、日本との絆を強めています。

これが、悩んだ末に踏み出した、私の第1歩でした。

ネパール・カトマンズの日本語学校で、書道を紹介

 

女子孤児院で開催した「ジャパン・フェスティバル」。ヨーヨー釣りを楽しみました

 

浴衣着付け体験の様子。民族衣装「サリー」を着た私と浴衣を着た女の子

 

チベット国境近くの村・ラムチェを再訪。1年ぶりに会った子どもたちは、日本語や日本の歌を覚えていてくれた

貧困と低学力
負のスパイラルから抜け出すために

アジアだけでなく、アフリカの途上国を知り、自分の視野を広げたい。

私の第2歩は、2019年9月に行われた、NPO法人「Colorbath」主催「マラウイ・フィールドワーク´19」の参加です。

高温多湿な熱帯でも、朝晩は上着を羽織らないと肌寒い首都・リロングウェやその周辺地域で、10日間、NGOや現地企業の訪問や、農村部に滞在し、貧困や経済格差など、諸問題の調査を行いました。

 

アフリカ大陸南東部に位置するマラウイ共和国も、世界最貧国。多くが自作農で生計を立てており、1日1ドル以下で生活する貧困層は人口の70%超。電気・水道の普及率も低い。

ホームステイした農村部の家庭では、暗闇の中、1本の懐中電灯の明かりで夕食を取る姿に衝撃を受けました。

栄養状態も最悪。食事は、トウモロコシでできたお餅「シマ」を主食とした野菜中心で、肉類は高価。動物性たんぱく質が不足し、乳幼児の栄養不良がまん延しています。

マラウイの母子検診に同行。低体重やマラリヤで亡くなる乳幼児が多い

シマを食べる、ホームステイ先の少年。暗闇での食事は、家族団らんのひととき

浴室。お湯をたらいにためる「行水スタイル」。床に転がっているのは、ヘチマのたわし

 
ネパールとマラウイ。共通していたのは、経済の主体が農業で、それに代わる収入源がないこと。そして、農作業やレンガ造りなど過酷な労働に従事し、学びたくても学校に通えない一部の子どもたち。

学ぶ機会がないと読み書きができず低学力となり、収入の低い仕事しか就けません。彼らが親になるとその子どもも、同じ道をたどってしまう。抜け出せない負のスパイラルです。

「途上国には、安定した収入が得られる仕事が必要だ」

2ヵ国を訪れた結果、私は雇用の創出に興味を持つようになりました。

自分を見つめなおし、
ソーシャルビジネス立ち上げへ

私は現在、途上国での雇用創出に向けた、ソーシャルビジネスを勉強中です。

ソーシャルビジネスとは、社会貢献で利益を上げる事業形態。無報酬のボランティアとは違い、社会問題の解決に向けた活動を仕事にして、収入を得ることです。

そして、2020年4月から大学を休学し、1年間ネパールに滞在します。

現地の人たちと生活することで、持続可能なソーシャルビジネスについて考えたり、自分自身が何を求めているのか、何を変えられるのか、しっかり向き合う時間にしようかと。

「ちいさい頃の花捺は、年下の子の面倒見がよかったんやで」と、母。

頼りにされることで、自分らしさを表現したかったんでしょうか、保育園では年下の子のお世話が好きでした。その頃から、「人の役に立ちたい」という思いがあったんだなと。

パン屋を営む母は、明るくて芯のある人。女手ひとつで姉・兄・私の3人を育ててくれました。たくましいその姿に、私は憧れを感じていたのかもしれません。

私は自分の名前のように、人を支える「花」になりたい。

2020年から始まる、第3歩。子どもの頃から思い続けた答えの糸口が、今ようやく見えてきたようです。

訪れたマラウイの小学校にて

 

 

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