京都にある大学だから得られた
異文化マネジメントという使命
- 株式会社日立柏レイソル勤務
- 外国語学部 ブラジルポルトガル語学科 2006年度卒業
- 焼田 功 さん
- 奈良県 耳成高校出身
自分にとってサッカーは、人生の教科書のようなもの
大学卒業後は商社に就職しましたが、サッカー選手のマネジメント業のお話をいただいて転職しました。チームマネジメントや通訳を経て、現在は柏レイソルのトップチームで、活躍できる選手を発掘するスカウトと呼ばれる活動をしています。
私はもともと幼いころからサッカー選手を目指していたので、現在の自分の姿は想像もしていませんでした。けれど、紆余曲折を経てこの仕事に携わっていることは、偶然ではなく必然だったと感じています。大学時代を含めて、これまでの数々の人生の決断が関係し合って、今につながってきました。
私にとってサッカーは、もはやスポーツとして以上の意味を持っています。スカウトとして選手を見定めるのに大切なのは、技術だけでなく人間力を見抜くこと。そのためには多角的な視点が必要不可欠で、自身のそれまでの経験が生きてきます。競技や選手とのかかわりを通じて、多くの学びが得られるサッカーは、自分にとって人生における教科書のようなもの。サッカーを体系的に理解し、情熱を持って自分らしくマネジメントしていくために、プレーヤーとしての経験と通訳としての感性を生かした大局観を大切にしています。
尽きることのないブラジルへの興味
京都外大でブラジルについて学ぶ決意をしたのは、生まれ育った環境が原点になっています。当時暮らしていた場所は日系ブラジル人が多く住むエリアで、言葉が通じない子どもたちも一緒に遊んでいました。ブラジル人特有の陽気な性格に魅力を感じながらも、伝えたいことがうまく伝わらないもどかしさから異文化交流への関心が芽生えたことが入学への動機につながっています。
大学入学後、2度目のサッカー留学のためにブラジルに渡りましたが、年齢の壁もありサッカーの道を断念。しかし、ブラジルという国への興味は失せることなく、よりアカデミックな視点からブラジルについて学びたくて、翌年にまた1年間、今度は交換留学生としてブラジルの首都ブラジリアに渡りました。
ブラジリアは政府関係者が多く住むこともあり、サッカー留学をしていたパラナとは違った文化があり、ブラジルが持つ多様性にさらに興味が湧きました。帰国後にもっとブラジルで学びたいと先生に話すと、財務省の在外公館派遣制度を紹介してくださり、4年次から2年間サンパウロに赴任。日本とは異なる現地の価値観を常に意識しながら、さまざまな学びを得ました。
大学時代に築いた異文化マネジメントの礎
自分の使命は異文化マネジメントだという考え方は、京都外大在学中の環境が影響しています。日本の由緒正しい古都である京都で、世界各国から訪れる人と価値観をシェアし合ったほか、ブラジル音楽に魅了されてブラジリアンパーカッショングループを立ち上げ、マネジメントした経験が土台になっています。またキャンパスでは、さまざまな学科の学生や留学生たちといつも中庭で話していました。言葉が通じない者同士でも、ノンバーバルのコミュニケーションも交えて異文化交流を楽しんでいました。
私はこれまで言語を修得しようと思って勉強したことはありません。言語を正しく操ることよりも、分かり合うことそのものが大切だと思ってきたから。それは日本語でも同じことで、言葉をどう使うかによって人間関係はより良いものになると思います。
今の時代は、特定の言語が話せるだけでは解決できない世界的な課題がたくさんあり、そこを突き詰めて見ることが大切だと思います。どのように言葉で表現してチームを盛り上げていくか、そこに挑み続けながら幸せな人生の実現を模索していきたいです。
※掲載内容は取材当時のものです