好奇心と偶然が導いた
ロシア語への道。
- 外国語学部 ロシア語学科 4年次生
- 前田 修吾 さん
- 大阪府 上宮高校出身
ロシア語学科を選んだ理由は、ロシア語との偶然の出会い。
実はもともとは英米語学科志望だったんです。高校を卒業したらマレーシアに英語留学する予定で、現地の大学にも合格していました。ところが入学直前というタイミングで新型コロナによるパンデミックが起きて、ひとまず留学は延期することになりました。当初はすぐに収束すると思っていたのですが、いつまで経っても収束の目処が立たず、やむなく方針転換することを余儀なくされました。
そこで日本の大学へ入り直すことになり、自分は海外留学を希望していたので、ひとまず外国語大学を中心に検討しました。その中で、京都外国語大学が自分に合っていると感じたのです。英米語はもちろん他にも多様な学科があり、言語に対して真摯な印象を受けたのと、静かで落ち着いたキャンパスの雰囲気が気に入りました。
それでオープンキャンパスに足を運んだのですが、そこで運命的な出会いをします。ロシア語学科が開設されたばかりだということでした。以前からロシアのキリル文字の美しさに惹かれていたのと、YouTubeでウラジオストクを旅する人の観光動画を見たことがあり、とても美しい街だと気になっていたのです。飛行機でわずか2時間ちょっとで行けるヨーロッパということにも興味を持ち、いつか行ってみたいと思っていました。そうしたいくつかの興味・関心の点と点がつながって、「自分はここでロシア語を学ぶ」と決めたのです。ほぼ直感でした。「思ったと同時に即行動」、高校生でマレーシア留学を決断した時もそうでした。16歳の春に初めて父と台湾を旅して感銘を受けると、その年の冬には台湾へ一人旅に出掛けています。また父の友人が多言語を話せる人だったのを見て、語学への憧れが高まり、マレーシアへの留学も瞬間的に決めました。これが自分の生き方なんだろうなと今は思っています。
実際にロシア語を学び始めて、おもしろさを実感。
自分はとにかく語学が好きで、海外の人と話すことで知識や見識が広がっていくのが楽しいと感じていました。京都外国語大学ロシア語学科には、秋に総合型選抜で合格。そこからすぐに独学でロシア語の勉強を始めました。もともとキリル文字の美しさに惹かれていたので、文字を見たり、ロシア語の文章を読んだり、ロシア語を書くことそのものが楽しかったですし、文法も発音もおもしろくてどんどんハマっていきました。
ともかく自分自身の好奇心を牽引力に、一人でどんどん勉強を進めていくことができて、学ぶのが楽しかったですね。その当時は、まだ戦争は始まっていませんでした。翌年の入学直前の3月に戦争が始まったのですが、それでも特に不安などはありませんでした。自分のこれまでの経験で、文化は国境を越えると感じていたからです。戦争や紛争、パンデミックなどがあっても、民間の人的交流が絶えることはありませんし、何よりこうして日本国内で言語を勉強することはできますから。
入学後はロシアにルーツのある友人がいて、その子が家族とロシア語で話しているのを見聞きしたり、ロシアからの留学生と話したり、彼らとみんなで遊びに行くことも増えていく中で、ネイティブの発音も聞いているうちに、どんどん語学力もアップしているのを実感できました。とにかくロシア語に触れていることが楽しかったですね。
カザフスタンでの挫折と、ウズベキスタンへの派遣留学。
自分にとっての大きな転期は、ウズベキスタンへの1年間の派遣留学でした。留学前の1年次生の夏にカザフスタンへ個人で旅行したのですが、私にとっては初めてのロシア語圏への旅。そこで大きな挫折を味わいます。街に到着してすぐ売店で「水をください」と話しかけても、まったく通じないのです。後で聞いたらアクセントがずいぶん違っていたとのこと。それなりに自信があっただけに、思いを伝えることが全然できなかった悔しさが、自分の中ではロシア語学習のモチベーションになりました。
翌春にはウズベキスタンへ、これも個人旅行として行きました。主要な観光地を巡ったのですが、自分のロシア語が以前よりかなり伝わるようになっていました。やはりうれしかったですね。半年余りで成長できた理由は、ロシア人の友人ができたこと。ネイティブの発音やアクセントを身近にそれも日常的に触れられたことが大きかったと思います。
2年次生のときに派遣留学という形で1年間、ウズベキスタンへ行きました。前年にカザフスタンを旅したとき、ストリートダンスの大会があったのを見て、なぜか妙に惹かれて、帰国してすぐ独学でストリートダンスを始めていました。とにかく思いついたらやってみるというマインドなんです。それで留学先で何か爪痕を残したいという思いもあって、ウズベキスタンで開催される大会に出場したんです。結果はもちろん予選落ちでしたが、遠く日本から来た初心者が果敢に挑戦したことをリスペクトしてくれて、たくさんの人々が「良かったよ」と声をかけてくれました。そこでたくさんの友人ができたのですが、その一人のダンサーから「自分のスタジオに無料で1年間レッスンにおいで」と誘ってもらい、1年間練習することになりました。そして1年後、彼の誘いでカザフスタンの大会に出場。結果は同じく予選落ちでしたが、確実に上達していると感じましたし、何より世界チャンピオンとカザフスタンの伝統料理を食べに行ってご馳走になるという光栄な機会まで得ることができました。ウズベキスタンへの派遣留学の前にカザフスタンを個人で旅行していなければ、ダンス大会の存在を知らなかったでしょうし、ダンスをやろうとも思わなかったはず。自分の好奇心と、その好奇心の赴くままに行動に移す自分の性格。ここでも点と点がつながって、自分をハッピーな環境に導いてくれたのだと感じました。
京都外国語大学の環境が、進むべき道へと導いてくれた。
将来はロシアへ移住して、そこで仕事をしたいと考えています。一つはロシアとダイレクトに取引をしている商社に就職すること。たとえばウラジオストクは日本との貿易も多く、自動車など日本の工業製品への需要が多いからです。もう一つがIT関連企業。特に首都モスクワではIT人材の需要が高く、給与も良いそうです。最初は日本のIT企業で経験を積んでから、何年後かにロシアで即戦力として挑戦するという道もあると思います。実はITの勉強も始めているのですが、日本語・ロシア語・ITができる人材というのはユニークでなかなかいないので、チャンスが大きいと考えています。
ともかく京都外国語大学は、積極的に行動していくことを最優先にしていた自分にとっては最適な環境だといつも感じていました。ウズベキスタンへ留学したこと、ロシアからの留学生と友人になれたことなど、常にロシア語を話す環境に自分を置くことができた。これが自分にとっては何より良かったことだと思います。
高校生の頃はまさか自分がロシア語の勉強をすることになるとは思ってもいませんでした。パンデミックなど世界情勢の影響を受けて、自分の人生が大きく変化しました。長期的な人生計画を立てても意味がないとは思いませんが、やはり今の最善を追いかけていけば、きっと点と点がつながって、自分の目指すべき道へと導いてくれる。だから今をしっかり生き切ることが大事だと、この4年間で学びました。そして好奇心を持つことと、その好奇心に向かって行動へと移すこと。大学生のうちに挑戦できることには片っ端から挑戦して、自分なりの爪痕を残してほしいと思います。
※掲載内容は取材当時のものです