インドネシアで
日本語教育
- 日本語学科 4年次生
- 柳川 佳穂 さん
- 大阪府出身
鉛筆が買えない!
私は国際ボランティアサークル「Kyoto Gaidai Habitat」で、海外の貧困地域の住宅建築ボランティアをしています。2年次の時にインドネシアを訪れ、貧しい子どもたちが教育を満足に受けられない状況を知りました。鉛筆やノートが買えない環境に「こんなことって、ほんまにあるんや」と、ショックを受けたことを今でも鮮明に覚えています。
「子どもたちが教育を受けられるには何が必要?インドネシアの教育環境が知りたい」
帰国後、自然とそんなことを考えていた私は、日本語教員・学習者の日本語アシスタントとしてインドネシアに滞在できる「日本語パートナーズ」*の募集を知り、応募。西ジャワ州・プルワカルタにあるチャンパカ国立第一高校に半年間派遣されました。
悪戦苦闘の日々
プルワカルタには日系企業の工場が多く、学校でも日本語学習者が多い地域。私はひらがなや発音指導、日本文化の紹介をしました。
日本語が必修科目のこの高校には、21クラス約800人が在籍。「たくさんの生徒に、どうやって日本語に慣れてもらうか」と、試行錯誤の日々でした。
例えば、節分の「豆まき」の紹介。
食べ物を投げてはいけない文化のため、大豆の代わりになるものを探した結果、丸めた新聞紙を使用することに。楽しそうに投げる生徒の姿が印象的でした。
また、費用がなく両親から進学を反対される女子生徒から相談を受けたこともありました。彼女が「働いてお金を貯めて、大学進学する」と話す、彼女のやるせない表情は今でも忘れません。
そんな不慣れな環境のなかで頑張って続けられたのは、インドネシアの人たちとの交流があったから。生徒たちには姉のように慕われ、街を歩くといろんな人から日本語で話しかけられました。そんな気さくな現地の人たちと生活を共にし、この国の文化や言葉を学ぶことがとても楽しく、充実した半年間を過ごせたと思います。
2つの国の懸け橋に
今回の滞在で、都市部と農村部では教育設備に差があることがわかりました。再び現地を訪れてリサーチを重ねてインドネシアについて学び、いつか日本との懸け橋となれるよう、日本語教育やインドネシア語を勉強していきます。
*「日本語パートナーズ」
国際交流基金アジアセンターの海外交流事業。日本語教育を行うASEAN諸国の中学・高校に人材を派遣し、授業をサポートしたり、日本文化の魅力を伝えたりしながら、現地の文化を学ぶといった交流活動を行う。