京都外国語大学・京都外国語短期大学

日本語教育が私の原点
今は目の前のことを全力で

  • 山形県立寒河江工業高等学校
  • 清野 都 さん
  • 日本語学科 2010年度卒業
  • 2018.05.17

1本の電話から高校教員に

ALT(外国語指導助手)に憧れ、中学生の時に「海外で日本語を教えたい!」と思うように。修学旅行で訪れた京都に魅了され、本格的に日本語を学べる日本語学科への進学を決めました。一番の思い出は、釜山外国語大学での日本語教壇実習。学習意欲が高い韓国の学生を教えることはとても楽しかったです。自己紹介の段階から、とてもみんな反応が良かったのですが、リアルな現場は違いました。日本で何度も練習し、準備をしていた授業が通用しないことも。でも、ここを乗り越えなかったら日本語教員にはなれないと逆に燃えましたね。

帰国後は夜間中学校での日本語授業ボランティアに参加しました。そんな経験を経て、いよいよ卒業・就職。実は、ニュージーランドの日本語学校への就職が内定していましたが、現地で起こった大地震で担当者と連絡が途絶えて、それっきり。その後、釜山にある日本語学校への就職が決まり、ビザの申請をしました。その2日後に東日本大震災が発生し、その影響でビザが間に合わず断念。日本語教員の道が途絶えました。

4月になっても就職が決まらず、先生の反対を押し切って、関西の大学に行ったのに結局ニート。あの時は自分を責めましたね。そんな中「明後日から働いてくれませんか」と山形県庁に提出した履歴書を見た高校の校長先生から電話が入り、「行きます!」と即答。国語科教員になりました。

教育し、教育される日々

地元山形県での教員生活は8年目。生徒にとって一番身近な社会人なので、お手本になるよう日々過ごしています。指導する時は、自分をもう一度見つめ直す時。教育すると同時に教育されていると感じます。工業高校は、座学で学んだことを実践する授業も多いのが特徴なので、百人一首大会など、知識を実践に生かすことができる授業もしています。

私が授業で意識していることは、生徒の目ではなく、気持ちをこちらに向けること。興味を持つような話題を交えながら授業をしています。一番食いつきがいいのは恋愛の話。古典や漢文の難しい話も、恋愛話を交えながら話すと理解が深まり、とても楽しそうですね。反応が想定外だった時はとても新鮮。感じ方は十人十色なんだなと感じます。

先生としての理想像は、卒業してから、私の言っていたことを理解してもらえるような生徒を育てること。自分の意見をしっかりと持ちつつ、いろんな先生・保護者・友達の話にも、耳を傾けるように、と生徒には伝えています。長い人生において、いろんな選択をしなければならない場面が必ず出てきます。大事な場面で自分で選択できるように、生きる力を持った生徒を育てていきたいですね。

海外旅行で、自分を顧みる

大学で得たグローバルな感覚がなくならないように、時間を作って海外旅行に行っています。外国に住む人たちと触れ合い、現地のものを食べ、その国の景色を見ることは、自分の在り方について改めて考えることに繋がります。旅先は、今後の人生に役立つような、自分の立ち位置を再確認できるような場所を選ぶようにしています。これからもその国ならではの新鮮さや刺激を求めて、海外旅行を続けていきたいと思っています。

実は、まだ日本語教員への道も諦めてはいません!作家・石田衣良さんの「寄り道まわり道けもの道、なんでもありではないだろうか」という一節を授業で知ったとき、まるで私へのメッセージかと思うほど心に響きました。諦めなければいつか日本語教員になれるということを忘れずに、がんばっていきます。

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