京都外国語大学・京都外国語短期大学

台湾のライトノベルブームに一役
150冊以上を中国語に翻訳

  • フリー翻訳者
  • 周 庭旭 さん
  • 大学院 博士前期課程 2006年度修了
  • 2019.04.06

大学院で日本語能力レベルアップ

大学で日本語を学んだ後、台湾角川書店の漫画編集部で勤めていました。翻訳者の原稿をチッェクするほか、担当した漫画や小説の宣伝用キャッチフレーズ、ポスターの構成なども自分で考えました。しかし、仕事をしているうちに、自分の日本語能力がまだ足りないと痛感。日本語能力をレベルアップするため、自分で情報を集め、2005年、ニーズにピッタリの京都外大大学院に入学しました。

博士前期課程で勉強していた2年間、日中両言語の違い、比較の難しさを知り、また、日本と台湾の異文化について、その共通点と相違点を学びました。修士論文は省略について研究し、本のキャッチフレーズを焦点にして研究に没頭しました。中国語と日本語のキャッチフレーズを比較しながら分析し、省略したメッセージと効果を解明しました。

修士号をとった後、友だちから連絡があり、大好きな読売ジャイアンツの通訳の仕事に応募し、2006年、うれしいことに、通訳の面接に合格、京都から神奈川県に転居しました。

球団でカルチャーショック

球団に入ったばかりの時、右も左も分からなかったので、たくさんの失敗をしました。カルチャーショックも受けました。例えば、あるコーチに「話す時の距離は近すぎる」と言われ、ちょっと落胆、台湾人選手が時間にルーズであるのも、私の能力不足と疑われました。でも、外大で毎週指導教官の彭飛先生の発表会に参加して、プレッシャーには慣れていましたので、何とか耐えることができました。

チームにいた2年間は、台湾の選手3人、日本の選手、コーチ、スタッフたちと大変楽しい時間を過ごしました。残念ながら、チームの方針で、2009年から2人の若い台湾人選手に通訳をつけないという理由で、球団から退職しました。2年間チームで働いたおかげで、野球現場や記者会見などの通訳の経験、そして日本での仕事の経験を積むことができました。自分が日本語を使ってコミュニケーションをとる仕事が好きで、自分に向いている仕事だと気づくことができました。

神奈川県川崎市の読売ジャイアンツ2軍練習場で

今はフリーの翻訳者

台湾に帰って、すぐ角川書店から日本のライトノベルを翻訳するように頼まれました。その時、ライトノベルは台湾に入ってきましたが、まだブームになっていませんでした。運がよく、私が翻訳した川原礫先生の『ソードアート・オンライン』は日本でも大ヒット、大学院で学んだ日中翻訳の知識のおかげで、作品は台湾の読者に受け入れられました。

その後、『ソードアート・オンライン』はシリーズ化になり、他にもたくさんのスピンオフ作品が出てきて、それらの作品も全部私の担当となりました。たくさんの本を翻訳したので、自信ができました。

台湾に戻った後、大学院で知り合った台湾人女性と結婚、一昨年には長男が生まれました。奥さんは、日本語教師をしています。私はフリーの翻訳者。気が付けばもう10年が経ち、150冊以上の翻訳本を送り出すことができました。自分は日本のサブカルチャーがとても好きで、もっともっと、作品を台湾人に紹介したいと思います。

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