京都外国語大学・京都外国語短期大学

勇気を持って、立ち向かう
大切なのは「まず、やってみる」

  • 外国語学部 ドイツ語学科
  • 菅野 瑞治也 教授
  • 2020.02.26

生涯の絆を生む「学生結社」

医師だった父の影響で子どものころからドイツが身近な存在に。京都外大でドイツ語を専攻するのも自然な流れでした。

ドイツ・マンハイム大学留学中だった1981年1月、「学生結社」に入会し、真剣を用いた決闘「メンズーア」を経験。それがきっかけとなり、決闘の歴史を軸にドイツ語圏の歴史と文化を研究するようになったのです。

学生結社は日本ではなじみがないですが、ドイツには約1,000団体あり、社会的にも影響を与えている存在です。決闘賛成派と決闘反対派とがあり、ゲーテやニーチェ、ビスマルクらの著名人も決闘を経験しています。もちろん危ない団体ではなく、同郷の学生たちの互助会を起源とする組織です。

学生結社は500年以上の歴史を持ちますが、私の入った「コーア・レノ・ニカーリア」もそのひとつで、日ごろは教養講座や飲み会などを行っています。

友人の誘いで準会員になったのですが、正会員になる試験に、決闘がありました。

決闘が盛んだった19世紀のドイツの学生たちは超エリート。いずれは国を背負って立つという意識を強く抱いていました。同じ団体のメンバーは絆が強く、卒業後の人脈となります。エリートの卵たちが学生結社に入るのもごく当たり前でした。

決闘「メンズーア」は、古代ゲルマン法の「決闘裁判」をルーツに持ちます。

名誉を汚された者が、侮辱した(名誉を汚した)者に決闘を挑み、侮辱した者はその挑戦を受ける。挑戦を拒むことは「弱腰」とみられ、最大の不名誉です。この「決闘による無条件の名誉回復」の考えが、中世ヨーロッパに浸透しており、頻繁に決闘が行われていました。

幾度も禁止令が出ましたが、なくなることはありませんでした。現在、「互いに合意がある」「防具の着用」「厳格なルール」を条件に、合法的なものとして認められています。

そんな世界に憧れ、仲間と認められたくて、勇気を振り絞って決闘に挑んだわけです。

学生結社「コーア・レノ・ニカーリア」の伝統的な酒宴に参加する、菅野教授(右から3人目)


同結社のメンバーが集まる、結社ハウス。この建物の地下に、決闘練習場がある

若者を自立させる「メンズーア」

決闘「メンズーア」を行う場所は、ハイデルベルクなど、ドイツ各地にある古城の地下。数百人は入る広さです。白熱灯で照らされる決闘場は、薄暗く、よどんだ空気が漂います。

1ラウンド約6秒、初めての決闘では25ラウンド、2回目以降は30ラウンド行います。

決闘者は相手に剣が届く1mほどの距離で対峙し、利き腕を上に伸ばして剣を構え、立会人の合図で開始。手首を返すように、交互に1回ずつ計5回、素早く剣を打ちこみます。「突き」は禁止。1ラウンドが終わるごとに、剣の消毒のインターバルをとって、次のラウンドへ。15ラウンド目が終わると3分間の休憩もあります。

「ヒュン、ヒュン、ヒュン、ヒュン」
「カン、カン、カン、カン」

静寂につつまれた会場は、剣が空気を斬り、剣と剣がぶつかる音がリズミカルに反響します。決闘の最中は、誰も話さず、物音ひとつしません。飲酒・喫煙はもってのほか。学生結社の正会員ら観客は、自分の仲間が真剣で斬り合う様子を、固唾をのんで見守るのです。

勝敗はなく、最終ラウンドまで行うか、負傷でドクターストップがかかる、もしくは規定違反があった時点で終了となります。

規定違反は、相手の攻撃をかわすため、頭や上体を動かしたり、前後の移動など「臆病で卑怯な態度」を取った場合、反則が取られます。6回の累積で即刻退場。つまり失格です。

18世紀頃までは、命を落とす学生が後を絶たなかったようですが、現在は首を守るための襟巻や、胴着、鉄製の眼鏡を装着するので、命の危険はないです。

とはいえ、「刃物で切られる恐怖」に動ずることなく、黙々と剣を打ち込み続けるのは、並大抵のことではありません。決闘が1人の若者を独り立ちさせ、「男の中の男」に育て上げる。ヨーロッパの伝統的な騎士道精神に基づいた、勇気と精神力の強さを証明する通過儀礼、それが「メンズーア」なのです。

学生結社では、現役の先輩会員と「親分=子分関係」を結ばなければならない。菅野教授(右)は、入会を勧めた友人・アレクサンダーさん(左)を「親分」に選んだ。2人は現在も強い絆で結ばれている


決闘「メンズーア」の練習を行う菅野教授と、アレクサンダーさん。土日を除く約1年間、練習に打ち込んだ。練習場は「カビ臭かった」。なお、決闘は撮影禁止。

勇敢だったぞ 対戦相手や仲間たちの言葉

私は2度、メンズーアを経験しました。

1度目は1982年1月、準会員から正会員になる時。決闘直前は、手足の震えが止められないほどの恐怖感を味わいました。この時は対戦相手も初めての決闘だったので、幸いにも大きな傷を負わずに、全ラウンドを戦い抜きました。

2度目は、半年後の6月。帰国1ヵ月前でした。正会員は入会時を含めて、「最低3度、決闘を行う義務」があります。「特例で免除しては」という声もありましたが、最終的に「特別扱いしない」という結果に。私はこの決闘で、左頬と頭部を斬られ、負傷。ドクターストップで終了しました。

控室に戻ると、麻酔なしで傷口を縫合します。もう、目の玉が飛び出るような痛さです。「うっ、うっ」とうめき声を上げながら耐えていると、ぎゅっと手を握ってくれる人がいました。その人は、初めて決闘した対戦相手。敵対する団体の会員です。彼は

「ミッチー(私のこと)、よく頑張ったな、勇敢だったぞ!」

と、決闘を称賛。その瞬間、私の目から堰を切ったように涙があふれました。仲間たちも、

「彼の言うとおりだ。お前は本当に勇敢に戦った。俺たちの誇りだ。胸を張って日本に帰れるぞ!」

と、優しい言葉をかけてくれます。

決闘が終わると、敵味方関係なく健闘を称え、結束が強くなる。そんな経験は初めてでした。

そしてあの時感じた、剣で切られた悔しさと帰国の寂しさ、"俺は、戦い抜いたんだ!"という達成感は、今でも現実味をもって思い出されます。

決闘で使用した剣「コルプ・シュレーガー」。刀身約90㎝、約900g。銃刀法の関係で、刀身は日本で5つに切断された。「バラバラになっているのをみて、とてもショックを受けました」


練習用ヘルメットと、刀身を切断された剣の柄部分。ともに鉄と革で作られ、ずしりと重い

決闘を通して知った、人間の本能

決闘はルールのある戦い。勝敗はなく、逃げずに戦い抜いた者だけが「一人前」と認められます。

これは決闘以外でも見られる傾向で、ドイツというのは1対1の戦いにロマンを感じる国なんですね。例えばサッカーでも、集団主義の日本はパスを回す組織力で戦うけれど、個人主義のドイツでは体をぶつける競り合いを少年時代から指導するんです。そんな部分にも国民性が表れていて、知れば知るほど面白い国だと感じます。

また、騎士道精神と武士道精神には、毅然とした逃げない態度や、闘いながら相手を敬うといった共通点があり、共感できる部分もあります。

決闘にしろ、スポーツにしろ、人はなぜ戦うのか? 

それは自分の存在を認めさせようとする本能だと思います。ただ、決闘はルールのある平和な戦い。近代スポーツのルーツは、古代ゲルマンの決闘にあるというのが私の推論です。平和と戦いは一見相反するものだけれど、戦いを見つめることは、平和を見つめ直すことにつながるのではないかと。

決闘から近代スポーツ、そしてオリンピックへと、どうつながっていったのかを明らかにすることが、私のライフワーク。紀元前8世紀から始まった古代オリンピックは、1169年間で全293回開催されました。平和の祭典として近代オリンピックは、それ以上に続いて行くべきだと考えています。

改めて振り返ると、決闘することは怖かった。

けれど、もしドイツで決闘していなかったら、私は一生悔やみ続けたでしょうね。

私にとっての決闘のように、逃げてはいけないものが、人それぞれにあるはず。物事に迷う場面があれば、「挑戦心」を持って、まずはやってみること。すると、何かを学ぶことができます。

そんな勇気の大切さを学生たちにも知ってほしいですね。

アレクサンダーさんが菅野教授に贈った、正会員が身につけられるリボンの金具部分。「コーア・レノ・ニカーリア」の紋章や、贈った日付や2人の名前などが記されている。決闘時に身につけた思い出の品だ。ちなみに「黒・白・緑」は同結社のシンボルカラー。


菅野先生の著書『実録 ドイツで決闘した日本人』(集英社新書)
ドイツの社会にも大きな影響を与える学生結社の歴史、決闘の歴史などが丸わかりの1冊

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