京都外国語大学・京都外国語短期大学

日本と世界つなぐ
「キーパーソン」目指して

  • 国際貢献学部グローバルスタディーズ学科3年次生
  • 小杉 成 さん
  • アメリカ Kennedy Catholic High School出身
  • 2020.10.01

「NBA選手になる」 16歳で渡米

小学生の頃から、地元・新潟市のバスケットボール・チームに所属。夢は、アメリカのプロリーグ・NBAの選手になることでした。友人を作らず、学校の休み時間も練習するほど、熱中していましたね。

中学ではバスケ部に入部。しかし監督と考えが合わず、ストレスを感じる日々でした。中学2年の時、父の友人が、ワシントン州シアトルで開催するバスケ・キャンプを教えてくれたんです。両親も「行ってみたら」と。そこで2013年3月、シアトルへ。約1週間、長所を伸ばす指導法や最新のトレーニングを受けました。NBAも初めて観戦。「アメリカでバスケやりたい」心をわしづかみにされました。

帰国後、留学への思いがどんどん強くなって。母に相談したのは、中学3年になったばかりの頃でした。当時は、「何考えてるかわかんない」と言われるほど、自分の事を話すのが苦手。NBA選手にめざしてることも隠してた。また、何ごとも受け身で、挑戦できない性格。そんな僕が突然「アメリカにバスケ留学したい」と言い出して、母も驚いたと思います。父を交えた家族会議で、初めて思いを伝えました。両親は「ナルのやりたいこと、やればいい」。背中を押してくれました。

すぐにキャンプの日本人スタッフに連絡し、アドバイスを受けながら高校を決定。16歳になる2014年8月、地元・新潟市からシアトルへ移りました。

〔前列右から3人目が小杉さん〕シアトル・キャンプの参加者、スタッフと。「新潟から来たのは、僕だけでした」

ワンハンド・スローの指導を受ける参加者たち。NBA選手を数多く育てたコーチから、約1週間指導を受けた

「挑戦する人になった」 自分を変えた、アメリカでの日々

新潟から空路で約9時間。西海岸最北の都市・シアトルは、「エメラルドシティ」と呼ばれるほど、自然と調和した街。日本のように四季が楽しめます。僕は、中心部から車で15分ほどの私立高校「Kennedy Catholic High School」に入学しました。

1年目は、不安と焦りばかりでした。同高校には、ワシントン州のリーグ・NPSLで活躍するバスケ部「Lancers」があります。入部テストを受けましたが、体調不良と緊張でアピールできず、結果は不合格でした。翌年に向け、バスケ・キャンプでお世話になったアカデミーに所属。ただ不調が続き、イメージ通りのプレーができません。

また欧米圏は、自分の考えをはっきり伝える「発信型コミュニケーション」。内気な僕は、なかなかチームや学校になじめなかった。「状況を変えたい。でも、どうすればいいかわからない」。苦しい時期でした。毎日気持ちを切り替え、積極的にチームメートや同級生と交流。ジムに通い、体力強化にも取り組みました。できることは全部やる。がむしゃらでしたね。

高校1年生の頃、 一緒に留学したバスケ仲間と、NBA選手ジャマール・クロフォードさんとの1枚。「憧れの選手。会えてめちゃくちゃうれしかった」

高校2年になると、授業数や課題が倍になり、練習時間が取れなくなって。バスケの調子も上がらず、このままじゃ不合格という状況でした。悩んだ末、テストを受けず、選手を断念。勉強に軸足を移すことにしたんです。でも、バスケとは関わりたい。そこで、日本バスケ界の底上げに向けた活動をしようと。指導法を学んだり、日本の育成環境の改善点などを調査。バスケ・キャンプに来た日本の子どもたちへの指導も経験しました。結果、リサーチ力や実践力、そして物事を多角的に見る目が身についたと思います。卒業時には、「発信型」の環境にも慣れ、自発的に行動できるようになった。友人もでき、成績もオールAが取れるほどアップ。自分を変え、大きく成長させた留学生活でした。

2017年6月に帰国。幼なじみは一言「見た目は変わんないね」。続けて「でも、ポジティブで、挑戦できる人になった」。彼女は、僕の性格をよく知る人。想定外の言葉に驚きましたが、うれしかったですね。

[前列右から2人目が小杉さん]高校3年の時、卒業前の親睦会「シニアリトリート」での集合写真


卒業がかかった、課題発表後の小杉さん。「スーツ未着用だと減点されるくらい、フォーマルな場でした。サングラスをかけて、カッコつけてますね(笑)」高校の図書館にて

世界規模の人材輩出へ

帰国後、進学先をリサーチ。2018年4月開設のグローバルスタディーズ学科を知ったんです。専門科目の授業が全て英語で、留学経験が生かせる。迷わず受験し、入学。現在は、リーダーシップや経済、国際紛争など学んでいます。

僕は、日本と世界の懸け橋になりたい。その取り組みとして、世界の問題を解決できる人材「Changemaker」の輩出に力を注いでます。2019年、世界的ビジネスコンテストで優勝を目指す京都外大生のサポート団体に参加。学生の視野を広げるため、ワークショップや啓発プログラムを企画してます。世界を目指すバスケ選手の育成活動も進行中。日本・アメリカのバスケ人材が交流できる場を立ち上げたいなと。卒業後も、仕事として続けるつもりです。

世界を知り、殻を破ることで、一歩踏み出せるようになった。バスケ仲間やスタッフ、クラスメートなど、人との出会いが視野を広げてくれた。次は僕が「キーパーソン」となり、経験を伝え、世界規模の人材を育てたい。

応援してくれる両親には、本当に感謝しています。今度帰省したら、今の夢を話してみようかと。また驚かせるかもしれませんね。

日本大学英語模擬国連には毎年参加。オンライン開催だった2020年は、議長を担当した。「議論のまとめ方、交渉スキルが上がる場です」


「学生がチャレンジできる場所を作りたかった」学生団体「Hult Prize KUFS」メンバーと

「大学入学式の時、家族で京都観光しました。母は京都好き。また3人で行きたいです」2018年4月、桜満開の頃

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